2015年3月16日月曜日

久しぶりに

おはようございます。






 長い間 ブログをお休みさせてました。
理由は、きわめて個人的都合、身内の相次ぐ闘病そして葬送、半年の間に2人もの大切な人との別離。




大概のことにはめげずにこれまで生きてこれたのですが、流石に短期間で・・・・かなり堪えました。


これまでも親、身内の別れを幾度も経験したことですが、喪失感、虚無感、心のうちに重苦しい深い闇が覆っているような、晴れない濃霧が立ち込めているように感じます。






バタバタ右往左往している間に時は過ぎ新しい年度を迎えようとしています。






窓の外を眺めれば、夜が明ける時間も、夕日が沈む角度も確実に変化しており、素成りでベランダに出ても身震いするほどの寒さはとうに過ぎ去ってました。










今朝も海鵜の群れが河口近い眼前の川にエサを求め集まってます。


数日前までは数えられる群れでしたが、今朝は100羽はゆうに越した数が悠然と飛び交い、派手な水音をたてて着水し、細い首を水の中に入れては休みを繰り返し、体格の割にひときわ大きな羽を上下に派手に揺すり、細い足を水面を走るようにして離陸するかの如く1~2羽を先頭にちょっとずつ、緩やかに右肩上がりに低い空へと上昇していきます。




手を伸ばせば届きそうなくらい近い空を目の前を横切る海鵜。
バサバサともワサワサとも聞こえる羽音。








じーっと眺めていると、鳥はなんとシンプルに生きているのだろうと思わせられます。
エサを求め、季節に応じて種の保存に臨み、生きやすい地を水を求めて移動する。


たったこれだけのように見え、そのシンプルさに羨ましさを感じてしまいます。




シンプルな中にも人間には到底理解しがたい理不尽や無常が存在しているのかも。






でも、煩悩・欲望・我に振り回され、社会の中に抗っても抗わなくても、狭い領域の中で生きているこの鳥たちより圧倒的に多い人・ひと・ヒト。




嗚呼 自分もその中のゴマ粒にもならぬほどのヒトの一人。
生きている限りは 悩み、悲しみ、苦しみ、楽しみ笑い、傷ついたり(勝手に)知らぬ間に傷つけてしまっていたりするのか。




底知れぬ 靄の中に引きこまれるような気持ちが、海鵜によって笑えちゃうくらい人間が情けない生き物のように思えてきちゃいました。






生きている間だけでも、笑って泣いて楽しまねば。
今さっきまでは、あの世と此方を繋げる携帯電話が欲しい、メールしても届かぬアドレスを見つめて思ってましたけど。










又吉直樹さんの「第2図書係補佐」を読み、「火花」を読み、また「第2図書係補佐」を読み返したら彼の静かでふかあ~い、まったりとしているけど出汁の濃く効いた言霊に魅せられ、少し闇から抜け出せそうな気もしてきました。
だから 人間っていいものなのかも。
                           久々のコンでした。



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